(3)
かつての教員養成はきわめてすぐれていた。ことに小学校教員を育てた師範学校
(注1)は、いまで は夢のような、ていねいな教育をしたものである。
(中略)
その師範学校の教員養成で、ひとつ大きな忘れものがあった。外国の教員養成に見倣った
(注2)ものだから、罪はそちらのほうにあるといってよい。
何かというと、声を出すことを忘れていたのである。読み、書き中心はいいが、声を出すことをバカにしたわけではないが、声の出し方を知らない教師ばかりになった。
(中略)
新卒の先生が赴任する。小学校は全科担任制だが、朝から午後までしゃべりづめである。声の出し方の訓練を受けたことのない人が、そんな乱暴なことをすれば、タダではすまない。
早い人は秋口に、体調を崩す。戦前の国民病、結核
(注3)にやられる。運がわるいと年明けとともに発病、さらに不幸な人は春を待たずに亡くなる、という例がけっして少なくなかった。
もちろん、みんなが首をかしげた。大した重労働でもない先生たちが肺病で亡くなるなんて信じがたい。日本中でそう思った。
知恵(?)のある人が解説した。先生たちは白墨
(注4)で板書をする。その粉が病気を起こすというのである。この珍説、またたくまに、ひろがり、日本中で信じるようになった。神経質な先生は、ハンカチで口をおおい、粉を吸わないようにした。
それでも先生たちの発病はすこしもへらなかった。
大声を出したのが過労であったということは、とうとうわからずじまいだったらしい。
(外山滋比古『100年人生 七転び八転び - 「知的試行錯誤」のすすめ』 さくら舎による)
(注1)師範学校:小学校教員を養成した旧制の学校
(注2) 見倣う : 見てまねをする
(注3) 結核: 結核菌を吸い込むことによって起こる感染症
(注4) 百墨: チョーク